同時代でほんとうに心から好きだといえる日本人作家は少ない。イシュマエル氏はそのひとりだ。ハードボイルド文体で書くと称する作家は数多くいるけれど、実際にはまったくそのように感じないことが多い。イシュマエル氏は数少ない例外で、といっても別に彼はハードボイルドなんて言葉を使ったりはしないのだけれど、しかしあのような文体であのような小説を書ける作家はほかにいない。去年読んでもっともよかった小説は彼の『暈』と『コロナの時代の愛』だ。前者は主人公を好きにならずにいられないし、後者には泣かされた。いまでもときどき思い出しては涙する。

 あらら、ありがとうございます。ハードボイルド文学は構造的に紋切り型になりやすく、読了後に得るものが主人公の自己満足だけということが多くて、遠ざかるようになりました。究極的に人生は自己満足でしかないのはわかりきったことではありますが、もうちょっと心を開いてもいいんじゃないかな? と思うようになり、だったら自分でやってみようと書きはじめました。

@Ishmael_Novok_4321 「読了後に得るものが主人公の自己満足だけということが多くて」……確かに。ヴェルマの行ったところまで見えようが見えまいが、警官にさよならをいう方法を見つけようが見つかるまいが、探偵は何ひとつ変わらないし成長もしない。そういう小説だからといえばそれまでですけが、人間ならもう少し何かあるんじゃないのと思わざるを得ません。わたし自身も、自分の人生に対して、もうすこし心をひらいてもいいのかもしれません。歩行器を押すチャーネットのように。

 自分の価値観は自分だけのものだけど、長さは人それぞれです。価値観の物差しは時代や経験によって伸びたり縮んだりすることもあるかも知れない。人生に誤解やすれ違いはあるけれど、そこに流されない愛や友情があるんじゃないかと思っています。『コロナの時代の愛』のチャーネットは最終章でもアニーから愛されるとは限りません。愛されたいから謝罪しに行ったのではなくて、ずっと愛していたことを伝えたくて行ったと考えています。愛情は一方通行ですし、言葉にすると青臭くなりますが、物語として美しいかなと思っています。

@Ishmael_Novok_4321 過去のあのときにいわなければいけなかったことだったんですよね。年老いて残りの時間を意識したとき、人間としてどうあるべきか、どうあるべきだったかということを考えたとき、彼はそうした。その結果何を得るかということではなくて。老人の外出にリスクがある状況で、かつて乗れなかったバスに乗り、歩行器を押してでも、過去の過ちを正そうとした彼のことを考えると、すいません、泣いちゃいます。

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 このあたりはガルシア・マルケスの『コレラの時代の愛』のオマージュです。一つ違うのは(あえて明示しませんでしたが)チャーネットはアニーの夫、モフェットの死を待っていたのではなくて、ずっと踏ん切りがつかなかった。時代は大きく変わっていき、自分はすぐにでも消えてしまうかも知れない中で、小さいが大きな冒険というものを描きたかったというのがあります。『汝の母~』のアルバートとは対照的ですが、アルバートを無責任などうしようもない男として突き放したくないとも思っています。

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@Ishmael_Novok_4321 正確なことばは忘れましたがフィリップ・K・ディックが、取るに足りないちっぽけな人間が、その凡庸な人生のなかでまれに見せる勇気みたいなものを書きたい、といっていたのを思い出します。はたから見たらなんの価値もないことなんですけどね。でもそういうものが人間を人間にするのだと思います。

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