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動けなくなって考えたのは彼のことだった。頼めば薬を買ってきてもらうこともできたかもしれない。でもわたしが彼のためにできることはない。いつもしてもらってばかりだ。頼れない。

震災の年に知り合った親友がいて、以来ずっと月末に彼と飲むのを生活サイクルの基準にしてきた。それがあしたなのだが腰痛再発で断らざるを得なかった。

つうかActivityPubの不具合、いい加減どうにかならんかな。

お問合せフォームが使われなかったのは所属を入力する項目がないせいだと思う。ビジネス上の連絡には向かないのだ。著者の利益になるような機会を逃しかねないので、これは改善する。フッタにメールアドレスを記載してもいいかもしれない。

その取材をされている方はまずお店に関心をもって小説のことも知ったのだと思う。わたしは逆で、お書きになるものに関心をもってそこからお店を知った。小説もお店も、どちらも芸術家としての彼女の作品だと思う。

メールをいただいた。権利的なことをすごくきっちりしているんだなと感心した。サイトの問い合わせフォームからではなくメールアドレスに直接届いたところを見ると、かなり時間を割いてFacebookページまで確かめてくれたようだ。そりゃまぁ、一瞬とはいえうっかり変なサイトを紹介しちゃったらまずいからね。そういうところも含めて丁寧な仕事ぶりがすごいなと思った。書店を経営する作家にはたとえばアン・パチェットや柳美里がいるけれど、実際に本を読むお客さんの顔をまいにち見ているって重要なことだと思う。過去作品をD.I.Y.で出版する佐藤亜紀とか、出版と読書のありようを捉え直すような取り組みをする作家はこれから増えるだろうし、そういう作家のほうが読者に信頼されるはずだ。考えてみりゃ全員女性だな。

やっぱりそろそろ週一でニュースレターをやるべきかもしれないな。サブスクライブしてもらってメルマガ送るやつ。

『GONZO』、つまらねえんだよゴミだなと思っていたけれど、通して読み返すとわりとおもしろいんだよな。難点は主人公がふたりいるのに一方だけが書かれていること。関係ない語り手のおばちゃんだけがやたら喋りまくっていること(意図したものではあるけれどあまりうまくいっていない)。なので最終的にはおばちゃんのお喋りを削って美少年の視点を盛り込むことになるかもしれない。いったん書き上げてからの話になる。

いやもしかしたら新聞を購読しはじめたのが影響しているかもしれないな。ウェブメディアに関心があるやつだと判定されたのかもしれない。ゴミみたいな記事に関心はないんだよ。

いやまじでFacebookのアルゴリズム、趣味が悪くなったな……ぜったい何か大きな改変があったはずだ。わたし自身のウェブの使い方はそれほど変わっていない。

しばらく閲覧していなかったせいでFacebook広告の精度が極端に低下した……と思っていたらそうではなかった。手を入れるために広告設定画面を開いたらいじれる要素が極端に減らされていた。Amazonとおなじで「見せたいものを見せる」方針に切り替えたらしい。ばかだねぇ。要らない商品の広告を見せられても買うわけないじゃないか。嗜好という要素を軽んずる企業はいずれ滅びるよ。

ふだんよりやや早めに寝床へ向かい、わたしより五歳若いハリー・ボッシュをすこし読み、数時間眠って、例によって眠りが中断されたのでつづきを読み、上巻の四分の一を読んだあたりで集中力が途切れたので睡眠を再開し、断続的に眠ったり目覚めたりしながら気づいたらこんな時間になっていた。きょうは書かねばならない。むりして書けば書けないこともないのだが『ぼっちの帝国』のような手応えはない。ゴミを生産しているという徒労感だけが残る。二十代の自分ならもっとうまく書けたろう。

ボッシュもの読みはじめたけど「これじゃない」感がある。マイクル・コナリーはきらいじゃないんだけど単発ものしか読んでこなかった理由を思い出した。組織に所属している社会人、として有能な感じが苦手なのだった。

いまごろになってようやく電子化される本が増えてきたのは、たぶん契約にかんする段取りが整ったからなのだろうけれど、もうちょっと早ければ……関連付けがゴミに汚染されたのもコンテンツ自体が少なかったからだ。彼らのアルゴリズムはきっかけがどんなに些細な偶然でも雪だるま式に膨れ上がっていくから、轟音を上げて転がってくるゴミの巨大な塊に巻き込まれたらひとたまりもない。なにしろ2012年から転がりつづけ膨れ上がりつづけているのだ。まともな本がつい最近まで存在しなかったがために。

『ぼっちの帝国』ときは渾身の力作というか会心の一作というか、とにかくがんばって書いたのだけれど、変なひとにわざわざ呼び出されて、ぷっ、下手くそだね、生きてて恥ずかしくないの、みたいなことを延々といわれて、それで耐えかねて怒ったらまるでわたしが失礼なきちがいであるかのようにいいふらされた。きちがいであるのは事実だけれども失礼なのは向こうなのに。でもだれもが向こうを信じて、『ぼっちの帝国』はゴミということになった。そんなことがあって、がっくりきた。

やっぱりそのためにはだれがどう読んでもおもしろいものを書かなければいけないし、『GONZO』はそうなる余地もあったのにミステリから遠ざかっていたせいで現状うまくいっていない。マイクル・コナリーのボッシュもの第一作上下巻を衝動買いした。ひさびさにこうした読み物に立ち返ってみる。

だれともうまくやれず、ひとりだからこそ幸せになれる人間だけれど、それでも仲間がほしいと感じるときもある。寄稿者はあくまでわたしが一方的にファンであるにすぎない。だから成立しているのだし、そのことに満足してもいる。でもそれとは別に、わかりあえる友人がいたら少しは気持が楽になったのではないか、と夢想する気持を棄てられない。

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