杜 昌彦 boosted
「フィルターバブルに憧れて」

ひとは自分の読みたい新聞を読むんだよ。

https://ezdog.press/post-28457.html

googleとFacebookは個人情報をがっつり強欲に吸い上げるおかげで、そうじゃないそれは好みじゃない、と手間暇かけて逐一教えてやれば、まぁまぁ希望通りのものを見せてくれる。それでも関心のないゴミを執拗に売りつけようとはしてくるけど。twitterとAmazonは個人情報をどれだけ与えようが無関係に彼らが見せたいもののみを強引かつ執拗に押しつけてくる。それは好みじゃないと何遍言い聞かせても聴く耳をもたない。Appleは個人情報をがっつり強欲に吸い上げるだけで見返りはよこさない。もったいぶってゴミを投げつけてよこし、ありがたがるよう強要する。信者が伏し拝む。

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いや実際、わたしもフィルターバブルに閉じ込められたいんだよ。反響した声だけを聴いていたい。どうしたらそれができるのだろう。小説を読むしかないね。

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にもかかわらずソーシャルでうまくやる健常者が視界に入ると、つい較べてしまってうらやましくなるんだよな。その気持があることを否定しようとは思わない。認める。

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だれかに承認されるためにやっているわけではないんだよなぁ。承認してやるよといわれても何様だよと思うだけだ。

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でも柳楽先生にかぎらずだれかに祝福されているひとのように実際になりたいかというと、それはまた違うんだよなぁ。結局それはソーシャルな場で祝福されるような才能であって、そういうふうになりたいというのとは違う。それは自分ではないという気がする。愛されるような人間であったならどんなによかったろう、と正直なところ思わぬでもないけれど、いまこの自分が、と仮定するとそれはとてつもなく倒錯したことのような気がする。まったく相容れない。なのでそうは思わない。

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ふだん嫉妬そのものの感情を他人に抱くことはあまりないのだけれど柳楽先生にあのように読まれ愛されるひとは素直にうらやましい。基本的には他人にどう読まれようが知ったことではないし、読まれるために書いているわけですらないのだけれど、だれかが柳楽先生のような方にあのように祝福される様子を見てしまうと、つい自分と較べて、自分もそのように愛されたらどんなにいいだろうとかなわぬ願いを抱いてしまう。ソーシャルメディアにはそういう害がある。だからああした場は近づかぬに越したことはないのだけれど、柳楽先生のファンなのでつい見に行ってしまう。

Travis、まったく関心なかったけどいいすね

期待の新人作家の原稿が手に入ったのだけれど見せ方を考えなければならない。今夜は酔っ払ってしまったのでむりだ。あした考える。『GONZO』はこれまで書いた分をちょっとずつ手を入れている。アクション小説としてそう悪くないと思うんだけどなぁ。

ようやくそういうのにありつけたのだからもうちょっと愉しみたいと思うのだよ。

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現代日本において両親が精神異常者だった時点で人生詰んだようなものだけれど、その割には人間としてあるべき幸福にもありつけたと思う。いい音楽をきいて本や映画も愉しんで酒を呑んで喰いたいだけ喰った。

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ずっと死ぬことを考えて生きてきたけれど四十すぎてからようやく人心地がついて、まあまあ幸福といってもいいような心境になったので生きていたくなった。しかし書くと本当になりそうで書きたくないのだけれどどうもわたしは今年死にそうな気がするのである。書くと本当になるというのはどういうことかというと絶版にした『崖マロ』を書いた直後に女子小学生が同級生を刺殺する事件が起きたり、『Pの刺激』の六年後に東日本大震災が起きたりした。吐き気を催すレベルで現実が小説のディテールを再現したのであまりいやなことは書きたくない。『悪魔とドライヴ』で悪人しか死なないように書いたのはそれが理由だ。四十すぎてようやく死にたくなくなって、本当になると困るのであまり書きたくないのだがどうも死にそうな気がする。これがただの強迫性障害ならよいのだが。誕生日に死ぬ人間は多いので六月あたりが危ないと思っているのだけれどそれまでに『GONZO』を書き切れる気がしない。そしてできれば次のBeatlesの小説も書きたいのだが死んでしまったらそれもかなわない。しかし死んでしまったとしてもずっと不幸だった人生よりはまだましだったと思う。

ソーシャルメディアがあるアカウントに対しては読書感想文のURLを連投しただけで凍結し、別のアカウントに対しては悪辣な人権侵害をやりたい放題やらせ、違反報告を一顧だにしないのはなぜか。ある声に対しては優先的に表示して増幅し、別の声に対しては表示を抑制して存在しないかのように扱うのはなぜか。その差は何か。どんな理由でどこに着目して選別するのか。その答えは金だ。金になる声を彼らは増幅する。増幅された声がさらに表示機会を獲得して増幅される。倍々ゲームで雪だるま式に膨れ上がりやがてはフラッシュクラッシュに至る。今回起きたのはそのようなことだ。意図的に選別してそのような結果を招いておきながらあたかも自分たちには責任がないかのような態度をとる。それがソーシャルメディアだ。

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最適化されるよう読者に強いる一方で最適化されたひとびとへ向けた商品を出版するのが商業出版だ。反響室めいた閉鎖空間でぐるぐる循環する。それをおもしろいと思うのか。そこから排除された個人は何を読めばいいのか。

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